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満ち満ちの4年間-4回生 DF #42 中道崇斗-

平素よりお世話になっております。






まず初めに日頃より応援してくださるOBG、保護者、関係者の皆様いつも多大なるご支援、ご声援誠にありがとうございます。






また、このブログを読んで下さる全ての方々に感謝申し上げます。








DF#9 美野翔太から紹介に預かりました、4回生DF#42 中道崇斗と申します。








関西決勝の前日に僕のところにブログが回ってきました。




タイミングが良いのか悪いのか。。。




こんな大事な日に僕のブログが出されるのは、今週このブログの更新を3日もお休みして昨日更新した美野の策略なのでは


と僕は睨んでいます。






そんな美野くんの紹介から入ります。






彼と僕は同じ人間福祉学部なので、中国語の授業が同じだったことが出会いでした。




授業前、彼はイス3つ使って横になりながら、スマホでガキ使を見てゲラゲラ笑っていました。




そんな彼とも4年目の付き合い。




練習後は決まって「丸亀行こや」と誘ってきます。


この文言にうんざりしていましたが、もう2ヶ月後には聞けないのかと思うと寂しくなります。




彼のブログを読んでも分かる通り


彼は自分のことを多く語らず、他人のことを多く語れる、


人情深い奴です。




彼は自分からは言わないけど、影で毎日努力しているのを同期はもうみんな知っているし、そんな彼を僕は尊敬しています。




日本一を取った暁には、彼に丸亀製麺に奢ってあげたいです。






彼の紹介はこのくらいにしときます。
















さあ、ファイナル決勝前日ということで






チームを鼓舞する熱いブログを期待している方には申し訳ないのですが






折角のラストブログ






少々自分のことについて書きたいと思います。






























今思うと






僕は関学ラクロス部へ入るべくして入ったと思う。










入部理由を聞かれるたびに


「野球を続けるか違うスポーツに挑戦するか迷っている中で、ラクロスを知り、一番魅力的だったから」


と答えていたが、








実際のところ






2つ上の姉が他大学でラクロス部のトレーナーをしていたため、高校生の時からラクロスというスポーツには興味があった。








進路が関学と決まった高3の3月頃からは


当時の関学ラクロス部の新歓PVを知らぬ間に何度も見ていた。






僕だけで再生回数50回は稼いでいるかも。






「全員が初心者なのに日本一を目指せる」


そんな魅力が詰まったPVは受験で疲れた僕を何度もワクワクさせていた。








それくらい興味があったため、入学後は自分からラクロス部の門を叩いた。


他の部活やサークルの新歓には興味が湧かなかった。














こうして僕のラクロス人生はスタートした。






新歓PVでは様々なポジションが紹介されていたが、どうしてもAT(アタック)がカッコよく見えたので、


ATとして1年目をスタートした。






自分への大きな期待を胸に、華々しいラクロスライフへと踏み出したのだ。














だが勿論、日本一を目指すチームは口だけでは無い。






練習量が半端ではなかった。












その練習量の多さに


いつしか心も体もついていかず、


同期に遅れを取り、


ATでは最低評価となってしまった。


















ラクロスを始めて4ヶ月が経った夏頃、僕はATからDFに転向した。








言い訳など1つも無い。




大事と言われている最初の3ヶ月を頑張れなかった。




ただ、それだけ。














DF転向後は、切り替えて前向きに頑張れた。








ウィンターまでの4ヶ月は体がしんどくても、心は元気なままだった。




ウィンターでは、優勝の瞬間をフィールドで迎えられるくらいにはなれた。






AT時代と比べるとDF転向後はかなり成長を感じれたし




何より楽しかった。
















学年が1つ上がった。






2回生の頃は、1番ラクロスを楽しめていない時期だったと思う。








先輩達との練習に混ざるようになってからは、到底Aチームに入れる実力も無く、




Bチームでもコーチや先輩に怒られないように考える日々だった。






無難なプレーばかりで積極性に欠けるから、目立たず試合で使いづらい選手になっていたと思う。








なんだか




「ラクロス部」は好きでも「ラクロス」は好きになれなかった。










コロナ禍で4.5.6月はほとんど活動していなかったのに、この年のシーズンは異様に長く感じていた。










今の後輩にもこう思ってる人がいるのかな。






いるだろうな。








同じ境遇じゃないかもしれないけど、共感はできる。








もし何かに思い詰めてたら相談してほしい。














今ここで僕が言えるアドバイスは一言。






「好きこそ物の上手なれ」






















3回生になっても、結果的に言えば




春先以外シーズンのほとんどをBチームで過ごした。








ただ3回生になると、夏綺、大夢と共にBリーダーという役割を与えてもらった。








この頃から「ラクロス」というスポーツを楽しめ出したのかもしれない。








リーダーという役割ではあるが、これと言ったリーダーシップを発揮した訳では無い。










「主体性」を意識して行動しただけな気がする。




でも、それにより、


日々の練習やミーティングに自分なりの小さな意味を設けて、ちょっとずつでも成長を確かめられたから




ラクロスが楽しくなっていった。














それと同時に


3回生は楽しむだけではダメ、ということにも気付いていた。








同期の半分はAチームでプレーしている中で、自分がAのメンバー入りできるビジョンは全く見えなかった。








トップリーグも、リーグ戦も、ファイナルも、全学も、全てメンバー外。






いつも試合は外から眺めていただけだから、正直、Aメンバーには中々感情移入は出来なかった。
















去年僕は学連の広報委員長をしていたので、


ファイナルや全学では、自分のチームの試合を横目にせっせと働いていた。








試合会場を盛り上げることが、僕がAチームに対してできることだ。




と自分自身に言い聞かせていたが












運営という第三者になることで


メンバーに入っていない悔しさや情けなさから目を背けていたのだと思う。














こんな奴が、


一度もAを経験していない自分が、


来年も選手でいられるのか




という不安を抱えながらも、




年末での役職決めでは、「選手を続けたい」と強く主張した。
















この期間は何が正解かが分からない苦しい期間だった。




自分をどれだけ犠牲にするか、主張を押し通すか、


それが果たしてチームのためになっているのか、、、














たくさんの話し合いを重ねる中で




少しずつ僕はコーチになる覚悟を持っていた。










だがその最中、同期DFのみんなが選手兼Bコーチというポジションを提案してくれた。






Aでプレーしたいという僕の希望と


孝志朗と共にBDFをコーチするというチーム事情を汲み取ってくれた案だった。






どちらにも携わることができるという利点がある一方、


下手したらどちらも中途半端になってしまう。






そんな危険性もあっが、僕は


前向きに可能性を信じた。












同期への感謝と共に


僕のラストイヤーは選手兼BDFコーチという立場でスタートした。


















ラストイヤーである4回生は全員がチームのために動いている。












僕のラストイヤーは選手兼コーチという立場であり、チームに貢献できる範囲は広いように見えるが、


実際にできることは限られてくると思っていた。






僕がラストイヤーで意識したことは大きく2つ。






1つ目は、BDFメンバーに主体性を持たせること。






僕自身がラクロスに主体的に取り組めるようになってから、ラクロスを楽しめ、成長できた経験から、






BDFメンバー一人一人にも主体性を持たせたかった。




















ここからは僕が主観で感じていることで


Bのメンバーがどう思っているかは分からないこと。










僕は


春先の練習はBで一緒にプレーしていたから、2.3回生とコミュニケーションを取る機会も多かったが






シーズン途中からAに入ることが増え、


夏頃からは関わる機会が減ってしまったのは、非常に申し訳ない。






僕はAチームについていくのが必死な時、BDFを見れる余裕が無くなっていた。






孝志朗にはかなり負担をかけていたと思うし


何よりBDFのメンバーには


まだまだ教えられること、伝えられることがあったと思う。






Bリーグも予選敗退してしまった分、特に試合にあまり出ていないメンバーにはまだまだ接したい。














まだシーズンは終わっていないから。














主体性を持たせられたかどうか分からないけど、


何か頑張れるきっかけ作りくらいは手伝わせてほしい。


















もう一度言っとこう。


今のは僕が勝手に思っていること。


みんながどう考えているかは分からない。












これを読んで


どう思うのも、どう捉えるのも自由だから。


もし何か僕に言いたいこととかぶつけたい思いがあれば


伝えに来てくれると嬉しいな。




















2つ目に意識したことは、選手としてどんな形でもいいから勝利に貢献すること。










プレー面で言うと


1個1個のプレーを全力でやることを常に意識している。








僕は試合だとベンチスタートであることがほとんどで、試合通しても出場機会は限られている。








その数少ないワンプレーに全てをぶつけなければならない。






目立とうとは思わない。


できることを全力でやるだけ。






これは思ってるより難しい。


リーグ戦を通してそう感じた。








だから、練習から1個1個のプレーにこだわるようにしている。














またプレー以外でも、


僕は「声」で貢献できる。












ベンチから鼓舞する声。


得点を喜ぶ声。


ミスをフォローする声。


冷静に相手の狙いを指摘する声。










4年間を通して色んな声の出し方を学んできた。












フィールドに出ていない間は、声の集大成でチームを勝利に導いてみせる。
































僕にとっては、明日、初めてのファイナルの舞台。




不思議だけど、不安は一切ない。














共に闘ってきた仲間を心から信じているから。


























やるべきことは全てやってきた。


















僕だけじゃない。






全員だ。
















プレーヤー、スタッフ、アナライジング、部員120人全員が明日に全てをぶつける。
















OF陣のみんな




誰が見ても関西では間違いなく頭1つ2つ抜けているオフェンスだと思う。


明日は自信を持ってそれを見せつけてやろう。


そしたらきっと、


電光掲示板に得点が積み重なってるはず。




頼みます!!










DF陣のみんな




単に仲良いだけじゃない


こんなに意思疎通できるDFメンバーは他にないと思う。


僕はもう本気を出す準備ができてるよ。


明日は全員で、最後まで、ゴールを守り抜こう。










スタッフのみんな




選手みたいにプレーできない分


勝利に直接関われないにも関わらず、いつもプレーヤーのサポートをしてくれてありがとう。


勝利を信じて、自分の役割を全うする姿は


プレーする以上のカッコ良さがあると思う。


明日も関西一のスタッフ力でチームを勝利に導いてほしい。










スタンドのみんな




明日はどうか、精一杯の応援をよろしくお願いします。


Bのメンバーは特に、悔しい気持ちがあるかもしれない。


でも明日は、ファイナルの舞台を目に焼き付けて、自分が来年その舞台に立つことを強く誓ってほしい。


みんなの、一人一人の声がチームに勇気を与えてくれる。


どうか、力を貸してほしい。
























目標は「学生日本一」


だけど明日は「通過点」とは捉えない。


全員で勝ち獲りに行く「大一番」。


















ベンチ、スタンド一体となって60分間を走り抜けよう。








そして枯れた声で「空の翼」を歌おうじゃないか。






















きっと明日は笑って終われる。






















明日11/5(土) Final3決勝 vs京都大学。


勝とう。絶対に。






























以上。僕のラストブログと致します。


大変長々と失礼致しました。














次にブログを回すのは、4回生FOer#12 森口稜太です。




彼も僕と同じ学部で、ゼミまで一緒です。




この4年間かなり多くの時間を共に過ごしてきましたが、一貫してサイコパスでした。


(先日は図書館でパンツを畳んでいました。)




そんな彼も、フェイスオフに関しては、4年間通してずっと熱心に取り組んでいます。




色んなフェイスオフの動画を集めて、自分なり分析し、言語化したり




様々な場所へ単身武者修行に行き、自分の武器にして帰ってきたりして




今では確かな地位を確立しています。




そんな、ひたむきに努力できる彼を、僕は尊敬しています。






それでは、モリグー


4年間の想いが詰まった、ちょっとサイコ混じりなブログ、お願いします!

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